バンガロール備忘・見聞録

バンガロールについてのなんやかんやと好きなことについての話

ヒンディー語を学習することの有用性について

今回はバンガロールで話される言語についてだらだらと書きます。

 

バンガロールはコスモポリタン都市だなあとつくづく思っていて、それは言語に限らず、宗教や食文化、若者たちを見ていてそう思う。

カルナータカ州の主要言語は一応カンナダ語であるが、インド人同僚たちの母語を調査してみると各々違うし、話せる母語の違いによって、インド人同士それぞれ使用する言語が異なっている。

カンナダ語からはじまり、テルグ語、タミル語、マラーヤラム語あたりを南インド出身者はよく話しているが、ここからさらに、ヒンディー語、英語も人によっては流ちょうに話す。

バンガロールで暮らすインド人を見ていると、生まれた地域で話されている言語というよりは、両親の話す言語が母語の人が多いと感じる。(ヒンディー語が母語のバンガロール出身の人もいる)

ちなみにカンナダ語とテルグ語は似ていて、マラーヤラム語はそれらとは全然違うんだよとか言われるけど、ヒンディー語と英語とそれ以外、しか私の耳には仕分けされない。

南インドでも、おそらく学校で学習するのでヒンディー語を話すことができる人は多い。が、耳に入ってくることは極めて少ない。

こちらがヒンディー語で話しかければヒンディー語で返してくれる。

または、顔を見て、北東部出身のインド人と認識されヒンディー語で話しかけてくる人も多いが、基本的には英語。

教育水準が高ければ高いほど、英語を話す人が多いのは言わずもがなです。

私は日系企業に勤めているので、英語を話せれば問題はない。

 

ローカルになればなるほど、英語よりもヒンディー語を話せる人が多いので、UBERの配達員やドライバー、食堂のおばちゃんやら掃除のおばちゃんやらにはヒンディー語さらにはカンナダ語で返すと、リアクションは良い。

 

 

果たして、バンガロールでヒンディー語を学習することに意味はあるのか?

 

バンガロールに来てから、オンラインでヒンディー語を学習し続けているのだが、
日常生活で必要になる機会が上述の通り、まあほとんどない。

機会があっても、なんやかんや話さなくてもなんとかなってしまっているこの状況。

先日、マットレスを購入して配達日時を電話で調整する必要があったのですが、配達員がヒンディー語またはカンナダ語しか話せず、ヒンディー語初心者なりにその場を乗り切ろうと試みたが、まあ通じてなくて、少し落ち込んだ。

結局購入した店の、英語を話せる担当者に電話をして間に入ってもらったわけですが、目標もなくだらだらとヒンディー語を勉強していたので、ああこういうときに、せめて事なきを得るくらいに会話ができるようになりたいなあと、学習して1年以上経過してようやく目標ができたのであった。

正直、今モチベーションは全くない状態なので、もう授業料もったいない+趣味的な感じでやっていたのですが、まあこの先もしばらくインドにいることだしちゃんとやらないとな・・・・という、今回のブログは多分決意表明です。(意思だいぶ弱め)

ちなみに、カンナダ語もバンガロールに来た当初は張り切って学習しようとしましたが、そっこー挫折しました。

かなり主観ですが、ヒンディー語とカンナダ語は共通点全くなしなのです。カンナダ文字はおしりみたいでかわいい、くらいしか言えることがないくらいのレベルです。(カンナダ文字でググってみてね)

ウィキペディアではヒンディー語とカンナダ語は一応言語類型的には同類らしく、日本語もそこに入るらしいが、共通点は人間が考えだした言語だね、としか素人目にはわからん。

 

言語の学習・上達は、やはり追い込まれないと上達しないよねえという情けない話でした。